『斬(ZAN)』

主に Web(ウェブ),ブログ(blog),サイト,ニュース,CGM などネットで視た様々な出来事を『斬』りますよ。
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未だにネットではバーチャルとしてしか使えないと思っている 

 Facebook だの Google+ だのと、何かとウェブ界隈では、SNS の話題が目立つのですが、イマイチ乗り切れない。

 もともと mixi がダメなタチだったので、実名的なリアルなコミュニケーションを主体とするサービスは苦手というか嫌い。

 Twitter ですら辞めてしまったクチなので、煩わしいリアルを持ち込むのが嫌なのですな。それが新しく、素晴らしい出会いであったとしても。

 なぜかと考えると、趣味がネットだからじゃないかと思う。他に趣味があって、そのことをネットを使って幅を広げる。だとか、そこから趣味仲間と交流するとかあれば、リアルからの繋がり重視になるでしょう。

 でも、ネットでの交流が趣味だと、それ以上に広がりようが無いんだよな。バーチャルで十分じゃん。ネットで繋がっている交流が楽しいのだから、リアルで会ったりする必然性が無い。

 で、ここまで色々なウェブサービスを使っていて、ウェブ(というかネット)の怖さを知っていると、リアルに繋げるというのは恐怖以外ない。この殻は相当固い。

 mixi のマイミクのマイミクはほぼ他人。そこからリアルバレする可能性が高いことは、ちょっと炎上関連を知ってれば分かること。

 「無敵の人」にでもなれれば、リアルに堂々と自分を晒しても大丈夫だが、そんな勇気など微塵も無いな。

 なので、Facebook も Google+ もフーンと思うだけで使おうとも思わない。

 もっとも危機感持っているほうが、得てしてそんな心配は無用だったりする。失うことを恐れて行動できないより、飛び込んで行くほうが良いことの方が多いのも頭では解っているんだが。

 souryuusei と中の人が繋がることが無いとするならば、新たにネット上で実名的な動きも取れるのだろうけれど。ネットで染み付いたこの居心地のよい顕名からは、そう簡単には離れられないと感じている。
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東日本大震災に思うこと 

 丁度一週間が過ぎた頃に書いてます。この記事が上がる頃にはどうなっているだろう。

今書けるとすれば、
 ・原発は、今どうなってるの?
 ・災害ボランティアはもう話題にものぼらない?
 ・献血行ってる?
 ・義援金送ってる人まだいる?
 ・買占めとかしてない?
 ・災害グッズも、そろそろ品が充実してるころでしょう、ちゃんと揃えた?
 ・福島の原発放射能関連の話題はもう過去になっちゃってる?
 ・菅首相はまだ首相?枝野首相とかになってない?
 ・計画停電続いてる?
 ・東電経営陣はどうなってる?
 ・東京消防庁の救世主は国民栄誉賞もらった?
 ・まだ原子力安全・保安院て存在してるの?
 ・ACのCMまだいっぱい流れてる(笑)ぽぽぽぽ~ん
 ・あなたの地域での防災関連の動きは今どうなっていますか?
 ・ホウレン草は食べても大丈夫ですか?

そろそろアホをするふりができるころに戻ろうではないか 

 ハレとケの話です。

 昔(電気がまだ無いころ)の人は、ケガレ除けのためにハレの日を意識的に作ったものと思われる。つまりそれは、アホになれる日。

 日常から無理矢理開放される(させる)ことで、アホを演じる。いやアホになりきる。そうすることで、ケの日常を過ごしてきた。

 しかし、いわゆる娯楽というものが身近になった現代では、昔ならハレになるような興奮できる状況を味わうことがいとも簡単にできるようになった。

 その結果、ハレの閾値が上がり、アホになりきろうとしなくてもアホになれてしまう。

 簡単にアホになれてしまうとそれが日常化してケになってしまうから、普通がアホになってしまう。これは大問題だ。意識的にアホになることでケガレを防いでいたのに、防ぐ手段がなくなってしまう。または、閾値が上がって過激なアホにならないとハレにならない。

 なので、ハレがなくなっている昨今のコミュニケーションでは殺伐とした環境が目立っているのではないかと思うのです。
 
 なので、もうそろそろアホになる行為を謹んで、ハレの閾値を意識的に下げて、ケをすごさないとアホのふりができなくなって生き詰まってしまうのではないかと感じている。

最適化されたものは時として無意味になる 

 日本の選挙活動においてもっとも最適化されているのが、名前の連呼です。とにかく名前を覚えてもらうことが一番であり、それが票につながるのです。

 なので、知名度の高さは即、票になります。ゆえに有名人が、それほどたいした政策も無いのに当選しやすいから立候補するのですよね。

 でも、この最適化は、果たしてこの国の政治にとって本当に良いことなのでしょうか?

 最適化されるというのは、最もシンプルかつ効率のよい方法なのですが、時としてそれが本当にいいことなのかと考えさせられる場合があるということを、最近よく感じるのです。

 必要な無駄ってあるような気がするんですが、どうなんでしょうかね?

スピードの温度差に合わせたサービスが必要なのかな 

システムと人間 - G.A.W.

 極論で申し訳ないのだけれど、結論からすると「急ぐ人」と「ゆっくりできる人」を分けるしかないのではないかと。

 駅などのエスカレーターで片側に寄る仕組が自然発生的に起きたのも、「急ぐ人」を優先させる配慮からですよね。

 「並ぶ」行為自体が、待てる人と待てない人がいるわけで、優先順位をどこに置くかになりますよね。

 最近では、大手のホームセンターなどで、自分でレジ精算するところも見受けられます。少数の買い物の場合は、圧倒的にセルフレジのほうが早く済みます。

 どこかで聞いた話ですが、コンビニ(エンスストアー)なら、本来システム化すれば人はいらないってことを言ってました。確かに、コンビニの商品なら全て自動販売機化できる可能性はある。精算システムとセキュリティさえ確立してしまえばできなくはないでしょう(それで繁盛するかどうかはまた別の話)。

 なので「急ぐ人」はよりシステムが最適化された無機質な自動販売型を選び、「ゆっくりできる人」は、今までより充実された「顔の見える接客」を望む方向でいいのでは。それを両立というか併用できる方法というのが、今後求められているように感じます。

 コンビニでも、セルフレジの導入があるかもしれませんね。既に ATM によって銀行の窓口の混雑は分散されてるし、さらに銀行 ATM が混んでいたとしても、コンビニ ATM がある。さらに電子マネーも普及すれば、電子マネーによるセルフレジが可能になりそう。

 自動車の交通でも何でもそうだと思うのですが、「急ぐ人」と「急がない人」の温度差が、ストレスになったり、トラブルになったりします。

 お互いが理解するのは非常に難しい問題ですから、分けて考えるしか方法がないと思うのです。

この配役にはちょっと雑念がはいってしまうのだよなー 


(via 「ガチ泣きした」 「何年ぶりかに泣いた、涙がとまらねぇ」 大人も泣いてることが判明:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

 すごくいい CM なんですけれど、お父さん役がきたろうさんなんですよね。

 今でこそ、きたろうさんは俳優さんといったイメージですが、自分の場合どうしてもシティーボーイズのきたろうさんなんですよね、どこまでいっても。役者というよりも芸人というほうが強いのです。きたろうさんの芸人としての芸風(といよりシティーボーイズ自体)が好きなんですよね。

 ここからは、ネタバレなので動画の CM を先に観てくださいね。

 なので、最後にお父さんにチャーハンが「うまいか?」と訊ねられたときの、娘さん(初音映莉子さん)のセリフは、ニュー速VIPブログの >>589 や >>590 と同感で「まずい」のほうがよかったのではないかと思うのですよ。

 どうしても、きたろうさんだと「まずい」の時の返し方を期待してしまうんですよね(といっても、きたろうさんは、元々ボケなんですが)。これが、長塚京三さんとか、蟹江敬三さんとか生粋の渋い俳優さんだったら「うまい」で違和感ないのでしょうれどね。
 
 というか、書いてて思ったんですが、むしろ、2パターン用意してどっちが出るかまで楽しめるっていうのもアリではなかったかと。泣かせるパターンと苦笑パターン。

 実は密かにどっちも録っていて、最後まで悩んだ結果「うまい」を取った、ってなエピソードがあるのではないかと期待してしまいますね。

「幸せ」と感じるハードルの高さについて(その2) 

 はやく「幸せ」になりた souryuusei です(笑) あすなろ君とでもお呼びください。
前回のは、こちらです。

 「幸せ」度をこじらせてる状態を具体的に書いてみます。かなりエグい内容になると思われますので、「幸せ」になりたい人は、読まないほうが、いいかもしれません。なので、静かにブラウザを閉じるか、戻るかしてください。

 では、いきますよ。


 「コップ半分の水」の例えは、誰でも知っているでしょう。
ものごとをポジティブに考えるか、ネガティブに考えるかという議論をするときに、「半分だけ水が入ったコップをどう見るか」という話が良く引き合いに出される。それを「半分も水が入っている!ラッキー」と考えるか、「どうして半分しか水が入っていないんだろう?残りの半分は誰かが飲んでしまったのだろうか」と考えるか、で人生が大きく変わってくるという話である。
Life is beautiful: 「半分空っぽのコップ」を「半分水が入ったコップ」に見せるテクニック

コップに半分の水を見て
「まだ半分ある」と考えている人間は、
すなわち要求水準が低い人間であるということになる。
「まだ半分ある」と考える人間が積極的思考の持ち主であると、一概にいえない


もうこれしかないという気持ちは、
マイナスどころか、むしろプラスに働くこともあるのである。


他人とのつき合いの中で、不安や葛藤や怒りが生じたとき、
私たちは、相手を否定したり、攻撃したりしがちである。
それは、とりもなおさず、
そこに映って出会った自分に対して向けられたものに他ならない。


苦手な相手が現れたときは、
自分が向上するためのチャンスをいただいたと、発奮するときなのだ。


熱中できるものにマイナスの志向は寄ってこない


成功をする秘訣は、自分の中の優れた能力を見出して、磨くことだ。
そのためには一刻も早く、自分の能力に気づくことが大切だ。

【コップ半分の水】より


コップ半分の水
渋谷 昌三
本の中の名言・格言 | 渋谷 昌三『コップ半分の水』

 これについて、「幸せ」度をこじらせている場合は、どう考えるかを書いてみる。

まず、前提を求めてしまう。
 ・今の状態はどうなのか
   お水を欲しているのか、既にお腹いっぱいで欲していないか
 ・お水には、何か入っていないのか?
 ・本当に水なのか?

 この時点で、すでに「不幸」が始まっています。単純に言われたことに対しての条件のみで考えられないのです。ひねくれた考え方がまず第一に思い浮かんでしまうのです。

 これは、もうどうしようもないのです。だって一番最初にそう思ってしまうのだから。

 そして、そこから、前提が異なれば、ポジティブもネガティブも真逆になるということを考えてしまいます。

 お腹がいっぱいなら、お水が
「まだ半分ある」は「まだ半分もある」だし、「もう半分しかない」は自分に対して言い聞かせて残り半分をなんとかしようとする状態です。

 そして、もしこのお水が、すごくまずいものなら、「まだ半分ある」はやっぱり「まだ半分もある」であり、以下同文です。

 状況によって、いかようにも答えは変わってしまいます。

 よしんば、素直に「まだ半分ある」だったとしましょう。でも、ここからでも「幸せ」度をこじらせた人は違うのです。

 この半分の内訳を求めてしまうのだ。この半分をどうしようかと考え込んで悩んでしまうのです。

 ・今日どれだけ飲むのか?
 ・いつまでに飲むのか?
 ・いつまで飲むことが出来るのか?
 ・刻むのか、一気か
 ・お代わりはあるのか?

 そして、考え抜いた結果として、最善と思われる解を実行するのですが、なぜか最悪の結果になるのです。これは、ネタでいっているのではありません。繰り返す。これは、ネタでいっているのではありません。今までの人生のなかで、実際に経験してきたことなのです。

 だからといって、何も考えずに直感で動いても、やはり結果は一緒なのです。当然それも試しているのです。直感と熟考で同じなら直感がいいだろうとお考えか?否、違います。やはり考え抜いた上での最悪の結果ならまだ直感よりも自分を慰めることが出来るのです。考察もできるし、反省材料もある。何よりも、いろいろ考えてダメだったなら折り合いをつけて納得もできるのです。

 もちろん、最初から最悪な結果になるなどとは、考えていません。ベストを尽くすべくやっているのです。それでも結果はそうなるのです。どうしようもないのです。

 この経験の積み重ねが「幸せ」度の尺度を狂わせ、「不幸」を余計に招きよせているのではないかと思われるのです。

 こじらせたいのではありません。こじれる方向へと導かれるのです。この導きから逃れたいと、もがけばもがくほど蟻地獄となって深みにはまっていくのです。

 ほーら、この記事もどんどんその深みにハマっているのがお分かりいただけるでしょう。これを好きでやっているのではないのですよ。もっとポジティブな記事を書きたい。

 もっと気分よく、気持ちのいい「幸せ」になるような記事を書きたいと思って書き始めているのですよ。最初に断りは入れていますが、最後にはハッピーになるようなまとめ方にしようと思っているのです。それでも、それでも、その結果がこれなのです。

 全てが全てこの調子ですから、気が付けば「不幸」の入口からどっぷりとその中に入っているのです。

 「幸せ」のハードルを低くし、「幸せ」度を適正にさせたい。意外と切実な問題なのです。

「幸せ」と感じるハードルの高さについて 

『「幸せ」と感じるハードルの高さ』とは?

 と、疑問に感じることがあるかと思いますが、まあ読め(笑)

 昨日何気に思い浮かんで、考えていたことなんですが。よく女性が、おいしいスイーツなんかを食べたときに、「幸せー」って言うじゃないですか。

 アレって、価値観が違う人からするとよく分からなくて、確かに美味しいとは思うけれど、「幸せ」とは、感じないよな、と思うものです。言葉は悪いですが、安っぽい幸せだな、と。

 しかし、よくよく考えてみると、これって結構重要なんじゃないかと。人によって幸せと感じるハードルの高さは違うのですよね。

 オリンピックに出るようなアスリートなら、金メダルを獲って初めて大きな幸せを感じるんじゃないかと。もちろん、昔からの小さな幸せ(小さな大会ごとに優勝してきているでしょうから)の積み重ねの経験を得ての、オリンピック金メダル。世界最高峰の頂点なのでしょうけれど。

 その積み重ねの上にある大きな幸せは、誰にでも理解を得やすく、実感は本人以外には分からないとしても、共感できる部分は大いにあります。

 これは、幸せのハードルが、すごく高いけれど、高さと幸せの釣り合いが取れている状態であると思います。

 一方で、他人からしたら、それの何が幸せかさっぱり分からないような「幸せ」も存在しますよね。本人がそれで幸せと感じるならそれでいいではないかといった類のものです。

 こちらは、人の価値観の違いにゆだねられるため、共感は得にくい「幸せ」です。こちらのハードルは、他人には、なかなかその高さを理解しにくく、物差しがどこにあるのかさえ分かりません。それでも、その人にとっての物差しは存在し、幸せの尺度というものがあると思います。いわゆる、その「幸せ」の金メダル級から地区大会優勝レベルまで。

 それで、ここからが本題となる問題で、この共感の得にくいほうの「幸せ」の尺度ってのが、その人の全体の「幸せ」と大きく関わってくるのではないかと思ったのです。

 それこそ、スイーツを食べて「幸せ」と感じるものから、何げない一言で「幸せ」と感じる人もいる(もっとも、スイーツを食べて「幸せ」と感じるのは、共感が得やすいほうに入るのでしょうけれど)。

 ひねくれて考えれば、他人の不幸をもっとも「幸せ」と感じる人もいるだろうし、趣味でハマっていることで、その中でしか得られない貴重な事が起きたときに「幸せ」と感じることもあるでしょう。

 さらに推し進めて考えると、この他人が理解しがたいことに「幸せ」を感じるタイプで、その「幸せ」度をこじらせるとかなり厄介になるのではないでしょうか。本人しかその「幸せ」の物差しを持っていませんから、その物差しが異常でありハードルが高いと「幸せ」になることが非常に難しくなるということなのです。
 
 そして、それは、まだ実力がともなっていればよいのですが、多くの場合実力不足のため、より大きな「幸せ」をつかむことが、とてつもなく困難なのです。

 ですから、この他人から理解を得がたい「幸せ」の類で、「幸せ」度をこじらせた場合は、単純に「不幸」のはじまりという事になるのです。

 もし、あなたがこの他人からなかな共感を得られにくい「幸せ」を感じることを多くもっているのでしたら、その「幸せ」度を今一度冷静に見直してみましょう。それが本当に正しい尺度であるかどうか、冷静に客観的に見直すことで、「不幸」を避けることができるかもしれません。

 そして、ここで書いてる、"あなた”とは、もちろん自分に言ってるということは、ここまでお読みいただいている読者ならお分かりいただけるかと思います。

 不幸のどん底から早く抜け出したいとあがいているからこそ、こんな記事を書いてしまうのですよね。

 はやく「幸せ」いっぱいになりたいのです。

“インターネットをお持ちの方”という表現にちょっと驚いた 

 最近、何気に耳にしたのが、この

「インターネットをお持ちの方」

という表現。確かに意味は理解できるが、すごく違和感を覚えた。

 これは、パソコンを買いにいって

「インターネットください」

という人と同じような感じがします。しかし、今回の“お持ちの方”は、普通に通じてしまう。

 本来なら、

「インターネットを利用できる環境をお持ちの方」
とか
「インターネットに接続できる環境をお持ちの方」

というほうが、正しいでしょう。

 そこで「インターネット」の意味についてちょっと調べてみた。
1) 複数のコンピューター-ネットワークを相互に接続して,全体として一つのネットワークとして機能するようにしたもの。インターネットワーク(internetwork)とも。
インターネット【internet】の意味 国語辞典 - goo辞書

インターネットいんたーねっと(コンピュータ)

「ネットワークのネットワーク」。ネットワークを相互に接続したもののこと。

表記ブレ多数;「internet」/略「ネット」/「World Wide Web」略「web」

現在では、TCP/IPを使って構築された世界的な分散型ネットワーク(The Internet/The Net)を指す。
インターネットとは - はてなキーワード
インターネットとは、通信プロトコルTCP/IPを用いて全世界のネットワークを相互に接続した巨大なコンピュータネットワーク。
インターネットとは 【Internet】 - 意味/解説/説明/定義 : IT用語辞典

インターネット(Internet)とはインターネット・プロトコル技術を利用して相互接続されたコンピュータネットワークを指す語である。
インターネット - Wikipedia

 「ネットワーク」を持っているという表現は、よく使われますが、こちらは社会的ネットワークのことで、コンピュータネットワークとは異なります。

 コンピュータネットワークを持っているという表現は、非常におかしく感じるのですが、「インターネット」という単語が、「テレビ」、「ラジオ」、「電話」、「ケータイ」といった通信端末機器の総称の意味と同じように捉えられてしまっているのでしょうね。

 なんというか、こういった言葉の使われ方をされるのをみて、よりインターネットというものが一般化してきたんだな、と感慨深かいものがありました。

「武士の一分」みる 

 よかった。ストーリーは、時代劇にありがちな内容でシンプルだったけど、役者の演技とか心理のつき方とか、要所要所の動きというか心情と表現とか、とにかく丁寧。

 綺麗な映画でしたね。見せ方も分かりやすくって、伏線も凄くシンプルで繋がりがキッチリ分かる。つーか、そこまで合わせなくてもってくらい誰にでも分かるような仕立てだったな。

 淡々と進むのが山田洋次だよね。2,3回見直してみるとさらにいろいろ細かいところが分かるかも。きっちり作ってるのがよく分かるし、完成度が高い。

 一つだけ気になったのが、離縁した元妻が、その後どこで何をして暮らしていたのかってところ。そこの伏線がどこかにあって、想像できるようになっていれば完璧だったんだけどな。ってか、それもどこかにヒントがあったかもしれないが。


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